Sponsored Link

今や私たちの暮らしに欠かせない食べ物・パン。
2011年に総務省が取った統計によると、すでに日本の一般家庭の消費額は米よりもパンの方が上になっているといいます。
日本はすでに、世界的に見てもパン食が普及した国となっているのです。

パン

とはいえ、パンがもともと日本の食べ物でないことは周知の事実でしょう。
日本人は長らく米を主食としてきた民族であり、日本人がごく普通にパンを食べるようになってからまだほんの数十年しか経っていないのです。
人類は少なくとも紀元前3600年ごろにはパンを食べていたという歴史を考えると、日本人とパンの関わりは極僅かだといえます。

パンが初めて日本に入ってきたのは、安土桃山時代(1573年~1603年)だったと言われています。
しかしそれは輸入されたというものではなく、ポルトガルの宣教師が自分で食べるために持ち込んだパンだったと考えられています。
その証拠に、宣教師が持ち込んだパンを日本人が好んで食べたという記録はほとんど残っていません。

しかし当時の日本人が安土桃山時代にパンの存在を知ったことは確かで、江戸時代の調理指南書にはパンの製法が載っています。
ただし、そこに載っているのはパンというよりも「マントウ(饅頭の原型)」に近いもので、日本人が正しいパン作りを始めるには至らなかったようです。

初めてパンが作られたのは1842年

記録上、日本で初めてパンを焼いたとされているのは、江戸時代に活躍した江川 英龍(えがわ ひでたつ)という人物です。
江川 英龍は鉄鋼を得るための反射炉の建造・西洋流砲術の導入・海防問題の改革の提言など、様々な局面で日本の発展に寄与した偉人です。
2015年には世界遺産にも登録された「韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)」を作ったのもこの人物です。

Sponsored Link

政治や国防に関わっていた江川 英龍がパンを焼いた理由は、パンを「兵糧」として利用することを思いついたからでした。
1842年4月12日、江川 英龍は自宅にパン焼きかまどを設置し、自らパンを焼いたと記録に残っています。

ただし江川 英龍が作ったのは「堅パン」と呼ばれるものでした。
堅パンは現在で言うところの「乾パン」に近いもので、保存性に優れている代わりに非常に硬く、パンというよりはビスケットのような食べ物でした。

しかし江川 英龍が作った型パンは当初の目的通り、その後の日本軍の携行食料として重宝されました。
このことから、日本で最初にパン食を普及させた人物である江川 英龍を「パン祖」と呼ぶこともあります。

「あんパン」が日本人を変えた

江川 英龍がパン食を広めて以降、日本でもパンを食べる人が増えていきました。
さらに明治時代に入ると文明開化の流れでパン文化が輸入されるに至り、徐々にパンを食べる人が増えていきました。

あんぱん

長年米を食べ続けてきた日本人は最初、パン食文化に嫌悪感を示したといいます。
しかしそんな状況を一変させたのが、今でも日本人にとってパンの定番である「あんパン」の登場でした。
あんパンの大ブレークによって日本人はパンへの警戒を解き、それから日本では「メロンパン」「カレーパン」などが生まれ独自のパン文化を形成していきました。

あんパンを開発した木村屋の初代店主・木村安兵衛は、日本人にパンが普及しないことを憂い、「日本人の口に合うように」とアンコを使ったパン作りを思いついたといいます。
ちなみに、木村屋は現在でも「木村屋總本店」としてパン作りを続けており、「ジャムパン」「蒸しパン」もまた、この店が元祖となって生まれたパンです。
木村屋が無ければ、日本のパン食文化は今とは違う形になっていたかもしれません。

Sponsored Link